Working,Learning,Playing,and Living

頭の中にあること、日々感じたことをつらつらと書いていきます。

テレビって必要?

2ヶ月ほど前に引越しをした。

 前は実家暮らしだったので、生活リズムやお金の使い方、何から何まで全部変わった。まだその変化の途中で、日常ってどんなだっけ?というのを思い出しているところ。 

 

 そんな中で、自分としては大きな変化だと感じているのが、家にテレビがなくなったこと。実家にいた頃もそんなにテレビを見ていなかったけど、リビングでは大概ついてたから、気が付いたらテレビの前に座っている、ということも少なくなかった。私はそれが嫌だった。テレビの前に座っていると、いつの間にか時間が過ぎてしまう。それに、流れてくるのは毎日似たような番組ばっかり。バラエティは誰かが大声でわめき散らしているだけだし、ニュースは、どこどこで事件がありました、はい終わり、って感じで、昨日のことはなかったような顔して、次から次へとただただ垂れ流すだけ。見ることで世の中のことが少しずつ分かり始める、とか、見方が大きく変わる、とか、そういった変化は特になかった。好きで見ていたのはスポーツと好きな有名人のドキュメント系の番組と大河ドラマくらい。だから、引越し先へはテレビを持っていかなかった。

 

  すると、毎日がとても静かになった。携帯でゲームしたり、ネットで音楽聞いたりはするけど、望んでいないのに音が流れてくるとか、気が付いたら時間が過ぎていたとか、そういうのがなくなって、ストレスが減ったように思う。(一人暮らしじゃないから、それ以外でのストレスは色々あるけど、それはまた別の話)時間を好きなように使えることの開放感、それがとても心地よかった。

 

 だけど、ひとつだけ問題がある。それは「世の中で何が起きているか」がよく分からなくなってしまったということ。実家にいる頃もネットでニュースを見たりはしていたのだけど、一日一回はテレビでニュースを見て、その日のダイジェストはこんな感じ、というのを掴んでいたのだと思う。

今、それがなくなってしまって、どことなくふわふわしている感じ、世の中に背を向けてしまっているという気分が拭えない。

そういう気分の中で思ったのは、「世の中」って一体何だ?ということ。

テレビを見ていないだけで、こんなに世の中が分からなくなるものか。そんなはずはない。Yahooニュースで読む記事だって、smartnewsで配信されるニュースだって、世の中で起きていることじゃないか。だけど、ネットでニュースを読んでいても、夜お風呂上がりにテレビでニュースを見てその日一日を振り返っていた、あの時間とは何か違っていた。

そう、結局、「世の中=テレビ」という図式が自分の中のどっかにまだあるんだということに気付いた。

そういえば、中学生くらいの頃は、みんなが見ているテレビ番組を見てなかったら次の日の会話についていけないからというそれだけの理由で、何が面白いのか分からないバラエティ番組を見ていたりすることもあった。逆にいうと、テレビを見ていればみんなとの共通点が簡単につくれた。テレビから流れる音楽やドラマ、芸能人の話題。そしてそれは中学を卒業して10年以上経った今も、同世代の間では十分に通用する共通話題になっている。

 

もう、みんながテレビを見ている時代じゃない。

世の中、っていったって、年齢や性別、職業や地域によって見方は全然違う。その違うものをごく一部分であれど共通のプラットフォームとして繋いでいたのがテレビだったんだと思う。そういう共通認識がどんどん崩れてきているんだろう。今の小学生は、どんな会話をしているのだろうか。テレビの話、するんだろうか。

 

 半沢直樹があれほどまでに高視聴率をたたき出したのは、内容が面白かったこともあるんだろうけど、共有できるコンテクストがどんどんなくなっていく不安を少しでも解消したい、みんなで共有できる話題が欲しい、という感情もあったんじゃないだろうか、と私は勝手に推測している。