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Working,Learning,Playing,and Living

頭の中にあること、日々感じたことをつらつらと書いていきます。

とにかく書いてみることにした。

ブログを始めてから半年近くが経過した。

エントリ数は12、最初の4つは旧ブログから移行したものなので、この半年で書いたのは8つ、月に1つか2つということになる。

全然、ブログが習慣化してないなぁと思う。

書きたいことはある。TwitterFacebookは自分個人を知っている人が多いのでそういった人たちの目がどうしても気になって書きづらいことも多いので、ブログの方がむしろ書きやすいと思う。

だから、とにかく書いてみることにした。

テーマとか、内容の面白さとか、文章の上手さとか、そういうのはいったん置いておいて、まずは書いてみようと思う。

書いているうちにテーマが絞れてきたらそういう方向にシフトしていけばいいし、文章の組み立て方も少しずつ上手くなっていくだろう(そうなることを願っている)。

 

とにかく、書いてみる。なるべく毎日。

オフライム君

「スマホを触らなければ触らないほどポイントが溜まる」というゲームがある。

オフライム君 | Mr. Offlime – Enjoy doing "do nothing"

 

日頃からオフラインの時間を大事にしたいと思っていた私にとっては

ピッタリなアプリだ。

使い方は簡単。アプリを起動してSTARTボタンを押すだけ。

するとタイマーが作動し、スマホを触らなかった時間がカウントされていく。

あとはスマホを脇に置いておいて、読書なり勉強なり、他のことをすればよい。

タイマーがうまいこと作動していないようにも思うのだが、そのうち改善されるだろう。

オフライム君は部屋で遊んだり、時には友達が遊びにくることもある。

このオフライム君が可愛らしく、眺めていても楽しいものだ。
 
このアプリをうまく活用して、オフラインの時間を増やしていきたいと思う。

テレビって必要?

2ヶ月ほど前に引越しをした。

 前は実家暮らしだったので、生活リズムやお金の使い方、何から何まで全部変わった。まだその変化の途中で、日常ってどんなだっけ?というのを思い出しているところ。 

 

 そんな中で、自分としては大きな変化だと感じているのが、家にテレビがなくなったこと。実家にいた頃もそんなにテレビを見ていなかったけど、リビングでは大概ついてたから、気が付いたらテレビの前に座っている、ということも少なくなかった。私はそれが嫌だった。テレビの前に座っていると、いつの間にか時間が過ぎてしまう。それに、流れてくるのは毎日似たような番組ばっかり。バラエティは誰かが大声でわめき散らしているだけだし、ニュースは、どこどこで事件がありました、はい終わり、って感じで、昨日のことはなかったような顔して、次から次へとただただ垂れ流すだけ。見ることで世の中のことが少しずつ分かり始める、とか、見方が大きく変わる、とか、そういった変化は特になかった。好きで見ていたのはスポーツと好きな有名人のドキュメント系の番組と大河ドラマくらい。だから、引越し先へはテレビを持っていかなかった。

 

  すると、毎日がとても静かになった。携帯でゲームしたり、ネットで音楽聞いたりはするけど、望んでいないのに音が流れてくるとか、気が付いたら時間が過ぎていたとか、そういうのがなくなって、ストレスが減ったように思う。(一人暮らしじゃないから、それ以外でのストレスは色々あるけど、それはまた別の話)時間を好きなように使えることの開放感、それがとても心地よかった。

 

 だけど、ひとつだけ問題がある。それは「世の中で何が起きているか」がよく分からなくなってしまったということ。実家にいる頃もネットでニュースを見たりはしていたのだけど、一日一回はテレビでニュースを見て、その日のダイジェストはこんな感じ、というのを掴んでいたのだと思う。

今、それがなくなってしまって、どことなくふわふわしている感じ、世の中に背を向けてしまっているという気分が拭えない。

そういう気分の中で思ったのは、「世の中」って一体何だ?ということ。

テレビを見ていないだけで、こんなに世の中が分からなくなるものか。そんなはずはない。Yahooニュースで読む記事だって、smartnewsで配信されるニュースだって、世の中で起きていることじゃないか。だけど、ネットでニュースを読んでいても、夜お風呂上がりにテレビでニュースを見てその日一日を振り返っていた、あの時間とは何か違っていた。

そう、結局、「世の中=テレビ」という図式が自分の中のどっかにまだあるんだということに気付いた。

そういえば、中学生くらいの頃は、みんなが見ているテレビ番組を見てなかったら次の日の会話についていけないからというそれだけの理由で、何が面白いのか分からないバラエティ番組を見ていたりすることもあった。逆にいうと、テレビを見ていればみんなとの共通点が簡単につくれた。テレビから流れる音楽やドラマ、芸能人の話題。そしてそれは中学を卒業して10年以上経った今も、同世代の間では十分に通用する共通話題になっている。

 

もう、みんながテレビを見ている時代じゃない。

世の中、っていったって、年齢や性別、職業や地域によって見方は全然違う。その違うものをごく一部分であれど共通のプラットフォームとして繋いでいたのがテレビだったんだと思う。そういう共通認識がどんどん崩れてきているんだろう。今の小学生は、どんな会話をしているのだろうか。テレビの話、するんだろうか。

 

 半沢直樹があれほどまでに高視聴率をたたき出したのは、内容が面白かったこともあるんだろうけど、共有できるコンテクストがどんどんなくなっていく不安を少しでも解消したい、みんなで共有できる話題が欲しい、という感情もあったんじゃないだろうか、と私は勝手に推測している。

 

女であるということ

「女子をこじらせて」を読んで以来、色々と考えてしまうことがある。

 

女として生きるということ

女として働くということ

女の敵は女?男?それとも自分自身?

ケータイは私たちの暮らしに何をもたらしたのか

有川浩の小説「阪急電車」の冒頭の文章をご存知だろうか。

 電車に一人で乗っている人は、大抵無表情でぼんやりしている。視線は外の景色か吊り広告、あるいは車内としても何とはなしに他人と目の合うのを避けて視線をさまよわせているものだ。そうでなければ車内の暇つぶし定番の読書か音楽か携帯か。

そんな光景が見られなくなって久しい。

最近電車に乗ると、目につくのはケータイ、ケータイ、ケータイ。

座席一列全員ケータイ、なんてことも珍しくない。

 

なぜこんなにも嫌悪感を抱くのだろう。

自分もiPhoneを使用している。

 

ただ、歩きながらケータイ、ごはんを食べながらケータイは辞めた方がいい。

かっこわるいよ、ほんと。

もうちょっと、身の回りを見渡してみようよ。

電車の中で向かいに座っていた人の顔、覚えていますか?周りに席を譲った方が良さそうな人、いませんでしたか?

今日のお昼ごはんは何を食べたか、覚えていますか?

 

そんなに、ケータイが大事ですか?

フィードバックの大切さ

自分のした仕事が良かったのか悪かったのか、またどこが良かったのか悪かったのか、フィードバックをもらえるかどうかは働く上でのモチベーションに大きく関わる要素だと思う。

 

その仕事が成功したのかどうかは、デジタルに評価することが可能なことが多い。

売上、利益、原価率、そういった数値を見れば、だいたいの善し悪しは分かる。

会社からすれば、そこまで分かれば十分なのかもしれない。

 

しかし、社員ひとりひとりのモチベーションに関わるのは、デジタルな評価よりも、もっとアナログなものではないかと思う。

例えば、何か問題が発生した時の対応が迅速であるとか、後輩の面倒をよく見ていたとか、タスクの漏れやスケジューリングの不備にいち早く気が付いていたとか、トラブルの芽を摘むような行動は、評価に値すべきものだと思う。

あるいは、指示された仕事を完了した時、その内容や仕事の進め方に対するフィードバック。「ここはもっとこうした方がいいんじゃない」といった指摘はなされることも多いだろう。では逆に、「この資料の見せ方はいいね、わかりやすいよ」とか、「期限より早く仕上げてくれて助かったよ」といったことを伝えている人はどのくらいいるのだろうか。

そういったものがないと、自分のやり方が正しかったのか、何か改善していくべきことはないのか、それが分からないまま、また次の仕事に取りかかることになり、それが続くと、もはやどこを歩いていてどこに向かっているのか、分からなくなってくる。

そうして、仕事に対するモチベーションは下がっていく。

 

もちろん、最終的にはデジタルな成果に現れてこないことには評価のしようもないしいくら業務改善をした(つもりになった)ところで目的が達成されなければ意味がない。

けれども、そういう見えづらいところで頑張っている人たちに光をあてていかなければ、彼らは救われない。そして、あえてトラブルを起こしておいてそれをシューティングすることを成果と見なすことすら行われるようになる。それは絶対に違う。

トラブルを解決することが成果ではない、トラブルを起こさないことが成果だ。

手を挙げた人が損をしないような仕組みづくり

 分業化が進む中で、作業と作業のスキマをどう埋めていくか、ということは大きな課題である。

 効率化を図る為には、作業を分担することはある程度の効果を発揮すると思う。

ただ、その切り分けられた作業にのみ各自が集中すると、作業と作業の間には必ずスキマが生まれる。そのスキマに、誰も気付かないということは恐らく有り得ない。自分の作業と人の作業の境目を眺めたとき、「あれ?ここって誰がやるんだろう?」というところが必ず出てくる。そのとき、そのスキマに気付いた人が、声を上げられるかどうかが、後々トラブルになるかどうかの分かれ道になる。そういう人がたくさんいるチームは強いし、いいチームだと言えるだろう。

 自分や自分のチーム、会社の責任じゃなかったらスケジュール遅延しても問題ない、トラブルになっても自分は悪くないなんて考え、おかしいと思う。責任の所在を明確にせよという声が強いあまり、周りのことを見て、プロジェクト全体がうまく回るように振る舞えている人が少ない気がする。みんな自分に火の粉がかからないようにおとなしくしてる人ばっかり。そんなんで楽しいんやろか。自分の方が知識があるとか、お客さんと近い場所にいるからいろんなこと聞きやすいとか、関係作りやすいとか、そういうのって役割がどうこうじゃないと思うんだけどなぁ。

 ただ、ただ、そうはいっても、そうやって色々手出し口出ししている間に、色んなところに巻き込まれて、身動き取れなくなっちゃったり、全部声を上げた人のせいにされちゃったりすることがある。正しいことをしているはずなのに…。

 

 手を挙げた人が損をしないような仕組み作り、チーム作りはできないもんだろうか。