Working,Learning,Playing,and Living

頭の中にあること、日々感じたことをつらつらと書いていきます。

役割を複数持つということは大切だというお話。

人は色々な役割を持っている。

仕事をしている時の顔、家族の前で見せる顔、恋人の前で、友達の前で…同じ人間でも、少しずつ違う顔をしている。私なんか、仕事してる時の顔はプライベートで接する人の誰にも見せたくないもんな。

でも、それでいいんじゃないか、という気がしている。

仕事をしている時の顔は、それを「演じている」ように感じることがある。

だからやれてるのかもしれないし。

役割を色々ともっていると、それぞれの役割、つまり顔から見たいろいろな世界が見える。きっとそれは、自分の中に蓄積されていって、いつしか他の顔にも影響したりして。そう考えると面白いなと思う。

役割を色々と持っていることって、結構大事なんじゃないかな。

何のオチもないけど、そんなお話。

女子をこじらせて

雨宮まみさんの「女子をこじらせて」を読んだ。

http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/4780801729/ref=aw_d_dsc_books

久しぶりに、人間の、というか女の、本音を書いた文章を読んだ気がする。

ここまで赤裸々に書かなくても…なくらい、ネガティブでどろどろとした醜い感情がありのまま描かれている。

私だけじゃなかったんだ!という安堵感と、そこまで卑屈にならなくても…というちょっとイタい感じと、色々ごちゃまぜになったというのが素直な感想。でもそれがきっと人間として自然な感情なんじゃないかと思う。

こじらせ方は人それぞれ、それぞれのこじれと葛藤とジレンマの中で戦っている。戦いつつも、自分は自分という人間からは逃れられないのだから、自分とは一生付き合っていかなければならないのだから、長所も短所もひっくるめて、自分をありのまま受け入れられるようになりたいなと思った。

女として…の云々はまた改めて考えて文章にしてみたいなという思いも生まれた。いつになかはわからないけど。

文句をいう人々

TwitterFacebookなどのソーシャルメディアが普及してきたことで

人々の声がよりたくさん聞こえるようになった。

 

その中で気になることがひとつ。

みんな、文句言い過ぎじゃない?

昔からそうだったのかもしれないし、その声がたくさん、大きく聞こえるようになっただけかもしれない。

 

最近で言うとこれらの件について。

・女性手帳

・育休3年に延長

 

どちらも良い政策かどうか疑問符はつくけれども、

そんなに文句言う?ってくらい

 

消費者意識というかなんというか。

文句言う前に自分ができることしようよ

自分の目の前にあることと向き合おうよ

あるいは文句を言うのであれば、こうすればいいんじゃない?っていう意見を出そうよ

そんなに暇なの?

こんなこと書いてる自分も同じだと思うけど

なんかその違和感が消えない。

※旧ブログより移行(2013/05/07) 

自分の手を動かすということ

先日、両親とお墓参りに行った。
 
行きは自分が車を運転した。
助手席に父、後部座席に母を乗せて、約1時間の道のり。
昨年の夏に免許を取得して以来、運転席に座った回数はまだ両手で足りるくらいではあるけれど、
ようやく一般道路では何とか平常心で運転できるようになった。
初めて路上に出た頃は40キロ出すのが精一杯だった。あの頃に比べれば進歩したかな。
 
お墓に着いて、まずは掃除。
右手にスコップを持って土を起こし、左手で伸びかけていた雑草を抜く。
土を触ることが久しぶりだったように思う。
そして、左手がうまく動かないことに気が付いた。
いま、私はこの文章を両手の指をそれぞれ使って打っている。仕事柄、それほど遅くはないつもりだ。
それよりも単純なはずの草を抜くという動作がうまくできなかった。
普段、いかに自分が慣れきった動作しかしていないか、ということを強く感じた。
たまに思うけれど、私、右手を怪我したら服着ることすらできないんじゃないだろうか。
 
何が言いたかったのかというと、
自分の手足を動かすということがどれほど大事かということ。
運転が上手い人の隣に座っているだけでは、自分が上手く運転できるようになることはない。
料理をしているのを見ているだけでは、美味しいごはんを作れるようにはならない。
下手くそでもいいから、失敗してもいいから(事故しない程度に)、
自分の手を、足を、身体を動かすということ。
 
自分の手足を動かすことで、土の手触りだったり、アクセルを踏む感触だったり、
頭ではなく身体が得た実感として、経験が身体の中に取り込まれる。
それは、他人から見ればどんなにつまらないことであったとしても、
ネットやテレビや本で得る知識とは違う、人から聞いたどんなリアルな話とも違う、
自分だけが持ちうる感覚。
 
そういうことって当たり前かもしれないけど、
都会に生きていると、そして会社という組織で働いていると、
大事なことを忘れがちなように思う。
食べるものはスーパーでもコンビニでもすぐに手に入るし、
服はなければ買えばいいし、汚れたらクリーニングに出せばいい。
車を運転しなくても、あるいは歩かなくても、電車に乗れば、タクシーを呼べば、
行きたいところに行けてしまう。
そして、どんどんどんどん便利な世界を求めてしまう。
もっと安く、
もっと速く、
お金を払っているんだから、自分が求めるものが与えられて当然だ、という意識が染み付いている。
 
コンビニでもファーストフードでも、どこに行ってもサービスが良すぎて気持ち悪いと思うことがしばしばある。
ちょっと待ち時間が長くなると「申し訳ありません」
そこまでしなくていいよ、ってこっちが申し訳なくなる。
電車も1分遅れただけで「申し訳ありません」
1分くらいで何で謝るの?って思うけど、
1分でも遅れると乗り継ぎに影響して迷惑を被り苦情を訴える人がいるのだろう。
丁寧な接客をしてもらえることはとても有り難いし気持ちいいのだけど、
その一方、それが仕事じゃないよね?という思いもある。
ホテルマンとドラッグストアの店員の接客態度を比べようなんて思わないよ。
 
本来、自分が必要なものは自分が用意する、自分でつくることが基本だったはず。
それを、少し多く作りすぎてしまったものをお裾分けしたり、
自分が得意なことを誰かの分までやってあげたり、そういうことをしたりしてもらったり
ということが仕事の起源だったはず。
今、どうしてもその枠組みから外れたものが多すぎるように思えて仕方ない。
 
いったい自分は今どこに向かっているんだろう。
自分にとって本当に大事なものは何だろう。
 
考える、というよりも、自分の感覚の中で探っていきたい。
まずは、身体感覚を取り戻していきたい。
だから、画面の向こうの世界とは、少し距離を置こうと思う。
パソコンの電源を切って、携帯も少し横に置いておいて、生身の自分を大事にしたい。
自分の足下から、自分の暮らしを、ひとつずつ見直していきたい。
 
それが、生きる力をつけるための第一歩だと思うから。
※旧ブログより移行(2013/05/07)

ブログのタイトルについて

いきなり3週間空いてしまいました。最低ラインは月2回更新なので、1ヶ月目はとりあえず達成。
少しずつ更新頻度を上げていけたら、とは思いますが、大事なことは継続すること。
細く長く、そしてゆるく(笑)、続けていきたいと思います。

本日は、本ブログのタイトル「Working,Learning,Playing,and Living」
つまり「働くこと、学ぶこと、遊ぶこと、そして生きること。」に込めた思いについて書きたいと思います。

生きるということは、働くことと学ぶことと遊ぶことで構成されているのではないか、という考えを持っています。
もちろん、寝る・食べるといった生理的欲求が満たされた上で、という話です。

人は、働くことで、お金を稼いだり、人に感謝されたり、人を育てたり、そういったことを通じて、
社会とのつながりを持ち、自分の役割というものを見つけていくのだと思います。

また、働くなかで自分に足りないものに気付き、それを学ぼうとするはずです。
あるいは、自分が得てきた知識や経験を自分だけのものにせず、人に伝えたくなることもあります。
誰かに教わったり、本などから新たな知識を得たり、また自分が知っていることや経験したことを
人に伝えたり、これもまた、自分の役割を見つけていくことに通じると思います。

そして、人は誰しも「楽しい」「面白い」ことが好きなはずです。
「遊ぶ」という要素は欠かせないでしょう。
「働く」と「遊ぶ」は対極にあるもののように思われるかもしれませんが、
私は、実はかなり近いところにあるのではないか、近いほうが、その人自身にとって幸せなことではないか、
と考えています。
本来、働くということは、自分ができることを、誰かのためにやってあげること、
つまり「傍(はた)を楽(らく)にする」ことを指していると言われています。
自分が楽しむことだけを目的としていれば「遊ぶ」になり、人のためになることを目的としていれば「働く」
その違いだけだと思います。

まだまだ私はその段階には到達できていないのですが、
「働く」と「学ぶ」と「遊ぶ」が、どんどん近付いて境界線がなくなっていくのが
自分の理想です。

※旧ブログより移行(2013/01/27)

ブログ始めました。

初めまして。

私がブログを始めた目的には3つあります。

 

【1】文章を書く練習

 色々考えることはあっても、それを人に見せられる形で残すことをあまりしていなかったので。

 今年は文章を書く必要にも迫られることが分かっているので、そういう場所をつくりました。

 

【2】考えたことや思ったことを書きためておく場所がほしかった

 TwitterFacebookも利用していますが、Twitterは文字制限があるし、Facebookだと見れる人も限られるし、

 そもそもそんな文章ばっかり溜めておくところでもないし。

 フローではなくストックとして、書いたものを残しておきたいと思うようになりました。

 

【3】WEBのお勉強

 今さらな感もありますが、HTMLもJavaScriptも「???」な状態でこの先一生過ごすのは

 ちょっと・・・と思いました。まぁ素材はそれこそどこにでも転がってると思うので、

 一から作れなくても読んだり直したりできるレベルになれれば十分と思ってます。

 

まぁ、こんな感じです。よろしくお願いします。

※旧ブログより移行(2013/01/03)